こってり紀行〜お待ちされて東奔西走〜

遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年は散々言われるようにアレなアレが待ち構えていますがそれはもちろん、っていうか単位とれるように頑張ります(しろめ

さて京都に越してきて早3年が経とうとしています。京都らしいことをしたかと言えばしているようなしてないような、去年は北野天満宮で年を越し、人の多さに辟易して今年は大阪の今宮戎神社で新年を迎えるというものでした。さて、京都という町は正直なところ、住み続けたいと思ったことがあまりありません。しかし、多くの人が京都に憧れをもつように、魅力はたくさんありますし、僕自身も京都に住んで良かったと思うことはあります。たとえば、古来からの独特な文化。一年中どこかしらで祭りがおこなわれていると言っても過言でないくらい祭が多いこと。夏は鱧、というような食文化。そして温故知新の街並み。と、いろいろある中でも、もっとも影響されたのが「こってり」でお馴染みの「天下一品」です。今日は何を隠そうこの天一についての日記を書いてみます。

こってりを知ったのは大学に入ってすぐ、先輩に「関西に来てこれを知らないとはずかしい」と言われ入った天下一品今出川店。このお店の味が初めて口にしたこってりラーメンであり、他の天一を試す際の自分の中で度量衡となっている店です。メニュー(中身は違う)や店内の雰囲気が北白川本店と似ており、味はスタンダードなこってりです。学校の近くなのでしょっちゅう寄ってしまい、財布にやさしくないw初めて口にした時は圧倒されました。大学に入るといろんな誘惑、麻薬にあふれていると聞いてはいましたが、まんまと大学に入ってこってりという麻薬にハマってしまったわけです←

いままで行った天下一品を挙げてみると・・・本店、今出川店、京極店、南座前店、八条口店、二条駅前店、同志社前(京田辺)店、東梅田店、法善寺店、難波ウインズ前店、三国店、倉敷店・・・12店舗。そのなかでも特徴ある店舗をいくつか挙げておきます。

本店(京都北白川)は創業の地であり、ここならではの特別メニューが楽しめます。スタンダードなこってりはもちろん、キムチと牛筋を加えたスタミナラーメンは絶品。これ一杯でビールが何杯もいけます。昔バイト5連勤で最終日の通し勤務を終えた日に京都駅でたまたま拾ったバス一日乗車券を手に北白川まで行き、スタミナラーメンの特大に餃子、ビールを頼んで天一で2000円使うというご褒美を自分にあげたのもいい思い出です。あれはうまかったなあ・・・最寄りバス停は上終町京都造形芸術大学前から北へ5分程度。

京極店はフランチャイズと思われる家族経営っぽい店舗。京都の繁華街新京極に近く、気軽に立ち寄れるのがポイント。メニューにはコロッケ定食やハンバーグ定食など一風変わったメニューもありますが頼んだことはありません。ねぎ大が追加料金取られるようになりました。味は普通の天一よりクセと匂いが強いのが印象的。本店至上主義の方にはお勧めできない店舗ですがとりあえずこってりエキス注入希望の方は行けばいいと思います。

南座前店は他店舗より100円くらい高め。祇園から程近いからなのか。ねぎ大も別料金ですがそれを頼むと大量のネギがやってきます。味は普通ですが高いのが難点。箸を水と一緒に店員さんが持ってくるのだが、一度盛大におとされ足に直撃し、痛かったのであまりい思い出は無いです・・・

二条駅前店はJR・地下鉄二条駅から千本通り渡ってすぐにある店舗。サイドメニューが豊富で王将のラーメンが天一になったような店。ラーメンは普通。水はセルフサービス。学割メニューがお得です。

難波ウインズ前店は南海電車なんば駅ビルの南西側に位置する店舗。ここの特徴は「豚トロラーメン」。普通のこってりもおいしいがこれはチャーシューが神懸かっててうまい。そしておそらく接客レベルが最高。携帯の会員になると割引クーポンが定期的に配信されやすく、オススメ店舗。ただし特大は無かったハズ。

そして最後に三国店は幻の超こってりの味が確かめられるおそらく唯一の店舗。メニューには一切書かれてないが「超こってり(伝票には「こてこて」と書かれる)」と言えば出てきます。阪急三国駅から西、幹線道路を渡るとすぐ。「箸もたつようなこってり」という表現では軟弱なくらいどろどろしたスープのせいで、中の麺にスープが浸み渡って無いというアレ。よくかき混ぜて(ハネないようにね!)召し上がれ。昔はどの店にもあったという超こってりがここでしか食べられないというのは残念ですが学校でゼミの授業8時間終えて何も食べてなかった空腹にぺヤング100倍に濃縮還元したかのようなパンチのあるこってりスープに胃袋が歓喜の音を上げる瞬間をみなさんいわかっていただきたいです。ちなみに初めて行った時は水なしでスープまでおいしく頂きました*1

以上、これだけでも店ごとに様々な特徴のある天下一品。この味を知れただけでも関西に来た価値があったなあと思いました。京都にはいろいろな有名ラーメン屋があります。高安、天天有、第一旭新福菜館、五行、福仙楼、一風堂、魁力屋、宝屋、大王・・・、などいろいろ行きましたがやっぱり天下一品はラーメンじゃないという結論に至ってしまうほど、他のラーメン屋と一線を画す食べ物だと思います。

*1:店員さんが出してくれなかったので挑戦状と捉えた

2010年が終わる

本日仕事納めでした。なお、仕事始めは明日です(キリッ
1〜3月
QMAばかりやってた気がするなー。春休みはバイトバイトの毎日やった。3月には東京に行った。けんしゅいには感謝感謝でありました。

4〜7月
3回生にあがって演習(ゼミ)が始まって苦労するなど。ほとんど前日は寝ない日が多かったかも。その反動が他の授業に響き、前期のテストは散々だった、というのがいいわけで実際はこのあたりにゆびーとにハマったというのが大きかった気がする。

8〜9月
充実してた。とくに自分のためになるという期間ではなかったけどいろんなものを見れたという時期だった。いろいろ自分で計画立てたりするのってたのしーな。って。

10〜12月
ゼミゼミゼミちょいと就活ゼミゼミって感じだった。毎週レポートはなくなったものの毎週GW発表でかなり時間とられた。まあでも資料集めはうまくなった気がする。あとUSJに行った。楽しかった。

毎年思うようにあっという間だったけど、いろんなことがあったんだなーって思う。出会いあれば別れもあるわけでそういう意味では人と出会ってその人とどう付き合っていくかってのをよく考えた年だったかなーとも思う。まったく同じ人間なんていないし他者との多少の差異をどうやって受け止めて対処するか、が必要で。具体的には我慢したり飲み込んだりした方が多かったかな。理不尽なことにはまだまだ腹の立つことが多いけどその時だけの言動に惑わされちゃだめだなーと考えることが多かった一年だった。来年はいい会社と出会いたいですね(しろめ)

ではではよいお年を。

イメージできる?

とある花屋があって。関西では京都に2店舗しかないけどもともと東京の西部(六本木・赤坂あたり)を中心に軒先展開(いわゆる坪ビジネス)をして一時期成功したフラワーチェーン。商品構成は売れ筋のバラやユリを中心に。仕入をあんまり花に精通してない担当に任せ仕入、昼に蕾の花を売り夜は繁華街のお水需要でロスを徹底的に減らすことに成功。価格帯は一般生花店と同程度。価格では勝負しない。出店先は繁華街の、それも少し暗い、軒先。きらびやかなネオンに負けてしまわないようなところに、ポツンときらめく狭隘な店舗。売る姿勢には厳しく、花に関する知識には甘い。バブル期とその少し後くらいにその絶頂を迎えた。

話を聞くだけではこんなベンチャー、直につぶれる。世間を甘く見過ぎ、時流に乗っただけだ、運が良かっただけ。と思う。じゃあ、どうすりゃいいのか。一つには商品をよく知り、ターゲットを明確に、どの層に売れれば効果的な売り上げが望めるか考え、それに見合った商品構成、店舗展開、価格設定、販促戦略を行う。けれど、それはどこもやってることだから結局どうしたってうまくいかない。今の視点で当時に思いをはせるのは難しいし、その時の最良の選択を模索するのは至難の業だ。でも、このままじゃダメだ、という感覚はなんとなくわかる。けれど、その姿勢でその当時成功してたし、バブルの最中*1、これからもずっと好況が続くだろうという楽観、これらは今という視点から見ればそんな甘くはないと思うけど、それでは当時に身を置いて考えたわけではない。

既存のシェアに切りこんでいくか、新しい市場を開拓するか。だいたいどちらかに絞られるけど、長い不況を経験した私たちにとってどちらもリスキーである。「WW2でこてんぱんにされて委縮した日本をそれになぞらえるのは無理があるかもしれないけどバブルに懲りた日本人が委縮してしまうのも無理はない。けれどそれでは負のスパイラルだ*2」と言う人もいる。今現在と言う境遇で問題点を見つけ出しその対処法を見つけ出すのは過去のそれを見つけるより簡単だし、データもあふれてる。でも、何か見落としてる。足りないのは希望じゃないかな。

恵まれてはいないけど、いい時代に生まれてきた。底を知ってるからこそ、伸びしろはある。そう信じなきゃこの先楽しくないやん。

*1:と言っても当時バブルとかいう概念はないし

*2:全部こっちに押しつけんなよ…とは思う

GUCCI

自分はこうありたいから、あなたもこうありたいと思っているはずだなんて考えを押し付けられるのが嫌いなんだけど、そういったひとを否定するつもりはない。そういう人はお好きにどうぞって感じなんだけどその人と一緒に組んで何かをしようってなると当然。摩擦が生じる。だから俺はグループワークとか嫌いなんだよ。個人が思うままに得意なことやってりゃいいのに、苦手を克服しようとか押しつけてくるのは何なんだ。そういう人に限って効率性、能率性とかいうんだけど。そうやって何もしてないように評価され、否定され、人はその評価を聞いて色眼鏡で見るようになる。今更評価なんてどうだっていいけどそんな料簡で幅広く活躍できる人になれるのか。

ゼミの先生が嫌い。思いつきで喋るし。言ったことが一貫してない。先週と今週とではまるで意見が違う。ともすれば1分1秒で気分が変わる。場が暗転する。周囲はああこいつらは出来ないと判断する。下等に評価される。だから次に成長しようなんて言葉がでてくる。成長って何なんだ。個々が思う成長なんてまばらだし。相手が得意じゃない分野は評価できない。けどその分野で努力したら自分の中で立派な成長じゃないの。見苦しい陰口を言いながら表面でニコニコする人たち。表立って嫌いでいる方が気が楽になるんじゃねーの。それを自分の中で許せないうちはまだ成長できていない。

バイト先にいる唯一の男のフリーターが嫌い。一寸前まで嫌ってた人と仲良くなったかと思ったら新しい餌食見つけて一緒になって口撃してる。カッコ悪い。

いろいろ放り投げて自分の人生歩みたい。とまあそう託けて自由になりたいだけ。

オフレポじゃなくて手記。

この夏はいろんなことした。そして一番印象に残った初めての海外旅行についての感想をメモしておく。

香港から帰ってきて、香港、すごい楽しくて、とても感動したんだけど、人に会う度「香港楽しかった?」「何が良かった?」と感想求められても、「すごい楽しかった」「夜景とか、料理とか・・・」と月並みのことしか言えなくて、感動をうまく伝えられない。自分のボキャブラリーが貧弱なのもそうだけど、まぁそれは置いておいて。何が楽しかったのかじっくり考えたけど、文化言語の違うあの空間にいきなり飛びこんで四苦八苦して自分たちで考えて行動しないと何もできない環境で、目に映るものすべてが新鮮だった。刺激的だった。つたない英語でやり取りして通じ合った時の感動とか、同じものを見て違う感想を得たり共感を得たりすることも楽しかった。今回は日本人3人で旅したのでそこまで現地の人と絡んだわけじゃないけど、いろいろな小さい交流があった。(某(忘?)事件で)善処してくれたホテルのスタッフ、バスの運転手。シンデレラ。チムサーチョイでシンフォニー・オブ・ライツの時に出会って写真を撮った若者3人衆。ゲーセンでゆびーとのやり方教えてくれた奴。マカオで日本語で対応してくれた博物館の人。聖・ポール天主堂跡近くの店の店員さん。皆、そこで生きている。みんな、喜怒哀楽もある。同じ人間が住んでいて何ら変わりはない。なのに、言語一つで壁を作ってしまうのは惜しい。

日本で見る空も香港で見た空もつながっていて香港で見た海はいずれ日本にたどりつく。孤立してるんじゃなくて世界はつながってるというあたりまえだけど普段意識しないことが実感できた。そして、5日間じゃまだまだわからないことだらけだった。もっと知りたいみたいという探求心が生まれた。そんな刺激を与えてくれた今回の旅行。お金には代えがたい価値のある素敵な時間だった。