目的が外にあるか内にあるか

三年後期がもう終わり、四年に差し掛かろうとしています。実は前期不慮で単位を虐殺してしまい留年リーチではないけど割と危ない状況です(;^ω^)でもまあ何とかなると思って就活してます。

報道にもある通りうちの学校含めた大学入試が書きこまれるといった事件で議論が飛び交ってますけど、それはさておき、カンニングで逮捕された青年に同情*1というか、憶測ではあるけど、愚直だなという感想を持ちました。

浪人の一年というのはもちろん大学に受かるっていうのが第一の目標で、それだけをモチベーションとして勉強し続けるわけですけど、これって結構、大変な精神力が必要なんです。僕も*2浪人してなんとか入れる大学があってこうしてますけど、そりゃ勉強しましたし、精神的にきつかった時期でした。で、浪人の戦う相手というのがピチピチの高校3年生(他浪人生)ですからもちろん知識の面では相対的に勝るので油断してしまうわけです。

それに予備校に行くとすれば、たいていの予備校は都心駅近くに立地しているので通いやすいけど、それだけに誘惑があるんです。逆にもし田舎にあって缶詰で勉強できる空間があっても今度はそこへ通う気力をそがれるわけです。かくいう自分は駅までがまず遠く、そして隣町まで通ってましたから自転車40分→電車30分→徒歩15分と、これが毎日2回繰り返されるので時間的、体力的損失も大きくモチベーションを下げる要因の一つでした。件の子は寮に入ってたみたいなのでその面については大丈夫そうですね。

最大の問題点は目的の所在が自己にあるのか他にあるかだと思います。幼いころから賢いといわれて育てられてきた子というのはそれがモチベーションとなって勉強し、やがてそれが目的になるんじゃないかな。だとすれば大学(京大)合格という目的が手段になって他に喜ばれるために頑張る、つまり過程云々より入ってしまえばこっちのもんさへへっという*3心理だったんじゃないかと推察します。まぁ、不本意な大学に入ったら入ったで後々苦労しますけどね。(証人が語る)

なにはともあれ、やったことは悪いことなので肯定することはしませんけど、最近の報道の仕方とか、ネットにおける事実の追い方がエスカレートしている気もします。就職活動をしていて、「就職氷河期」「就活早期化」「内定取り消し」など、あたかも企業が悪のようにまくしたてるような報道*4に比して、説明会で話をされる人事の方や社員の方はわざわざ時間を割いて場を提供してくれて、熱心に説明しているところを見ると報道ってなんだろなぁ、と疑問に思います。悪を探し出してきてそれを叩く、2ちゃんねるの祭のような報道が多い気がしてなりません。

*1:もちろん試験の公平性を著しく乱す行為ではあるけども

*2:結果は成功とはいえんけど

*3:実際はもっと追いつめられてたろうけど

*4:実のところ選考が一番早いのはマスコミですけどね