Advise
皆それぞれ違う人生を歩んできて、偶然、出会う。
だからそれぞれの持つものは違うし、価値観も違う。俺は高校のときからアドバイスを受けても必ず最後に締めるのは「結局は自分が(良しとすることを)決めるんだよ」と付け加える。俺はこれが最適だと思っても、それは他人にとって最悪かもしれないし、もっと最適があるかもしれない。その可能性をつぶすのはよくないと悟ったからだ。
でもなんで、アドバイスを頼るのだろう。多かれ少なかれ誰でも悩みを抱えていてそれを聞いてもらい、共有してほしいと思う願望があるからだと思う。つまり、解決策を模索してるんじゃなくて、分かってもらうことが、アドバイスの真の狙いなんじゃないかなって、思う。相談相手の境遇や内面のすべてを知り得るわけじゃないし、どうしても相談されたら自分の経験に基づいて話さざるを得ない。だから余計に自分と相手の間で隔絶がある。もどかしさが生まれる。そして相手との差異に気づいていらいらしたり、煮え切らない相手をつき放つしたような言い方になってしまうことがある。結果、あぁ、この人は自分と違うんだ、と片付ける。その人と距離を置きたくなる。
相談相手だけに原因があるわけじゃない。根源の問題と誠実に向き合わないでどうしようかと模索してる場合がある。そのときは、解決方法は目に見えているのに、いまいち日和見的な考えを優先して目先のこじれを避けようとする。相談と言いつつ、やっぱり話を聞いてもらって「わかってほしい」だけなんだ。
自分の考えを気に食わない人もいるだろう。大いに結構。そもそも分かり合う必要なんてないし、わかりあえたらラッキー。
そこにこだわる必要はない。いざという時に支えようとしてくれる人がいるだけで孤独じゃないよ、幸せなんだから。