Anybody has weakness.

はぁ、昨日はバイト先の人と19時から飲んで食べてわははと盛り上がりました。職場で言えない愚痴とか共有しとくことで個々の仕事に対する認識とか、違うことがわかるし、こうすればいいって思ってることが自分だけじゃないんだなって確認されて強くなれる。

群れることはそんなに悪くないことだと思います。自分は天涯孤独、悲劇のヒーローだから理解されないなんていう人を理解しようとする人はいません。なぜならお互いが理解しようという双方向的な力が作用しないと理解には至らない。一方が理解しようというのに他方が謝絶すれば、それで終わり。何も進展しない。他人の痛みがわからないような人が理解してほしい、なんていうのはおこがましいというか、そうしているうちはそこから逃げ出せない。だから孤独なんだよ、と言いたくなる。相手の事情を考えてあげようって人もなかにはいますが俺の場合そんな器量は大きくないし、そんな優しさを見せたところで双方に利益があるとは思えない。だから自分の考えと合わない*1人で理解しようという気がない人とあまり仲良くなれるとは思いません。でも見捨ててるわけじゃない。そうして生きてると、ふと合わなかった歯車がガチっとあう瞬間がある。そんなことは今までいくつもありました。それは自分が間違っていたり、誤解が解けたりといろいろだけど。どちらかが認識を改めたときにおこる瞬間だと思う。

仲良くなって、それで?群れて何になる?と考えたときに行きつくのは安心感だと思う。たとえ理解されなくても、一緒にいられるというのは大きい。思ってることを喋っても攻撃されない場所、それが議論になる場所がある。阿久津先生も言ってましたが人間、友達がいないと終りだと思う。

でも、集団の恐ろしい所。それは個に対する影響力。
はみ出し者扱いにされたら精神的ダメージは大きい。また、正義のために自らはみ出し者になろうとする人間は勇気が必要だということ。

ここ数日で思ったことをうまくまとめようと思ったけど、なかなか自分の表現力の限界を破ることはできませんね。

*1:考えが合わなくても仲のいい人はいっぱいいます。理解しようとする努力が見えればいいけど、それもなしに他人に牙をむけるようなんじゃみんな逃げるだろ、そりゃ。