一本線

もしかしたら自分のしてきたことは間違いだったかもしれないということがふと脳裏をかすめる。自分に降りかかることならともかく、他人にしてきたこと。何気なく他人に言ったことがもしかして重要な判断要素になったんではないかと思うことがある。それで結果が実を結べばいいけれど、自分が云ったことで何かを諦めたり、失敗してしまってたら…?

このブログを書き始める前は、浪人期の記録として別のブログを書いてた。それを読み返す度、あの頃の友人は自分をどう思ってるだろう。と思うことがある。田舎の、ぱっとしない高校だったけれどクラスでは上位にいたため何かと頼りにされた。センター試験の結果が悪くて担任教師に聞いたこともないような私立大を勧められた親友が四国の国立大学を受けたときも、俺が逆転可能な学校を探して教えてあげた。結果、彼は合格した。俺はいばらの道を歩んですべて不合格。教師曰く現役でも受かってた大学に今在籍している。でも後悔はない。自分で浪人を決め込んで未来を賭けに出したのだから。けれど、そんな自分の体験が他人に活きていくとは限らない。一緒に浪人した友人は私立専願でことごとく失敗した。そして自分も失敗した。今考えれば親に対してかなり身勝手なわがままを言った時期だ。後にも先にも。

時間は止まらず人生はやり直すことはできないから、過去に二重線を引くことは不可能だ。けれど、その先にわかれ道がある。そのわかれ道のどちらをを選ぶかどうかは別として、与えられたものだけじゃなく、自分で新たに道を切り拓いた、高校3年。結局その道は意図したところにはたどり着けなかったけれど、ちょっとだけたくましくなって、また本道に戻った気がした。これから先、もっと大きなわかれ道が待っている。今の自分に最善の判断をする知識もなければ、努力もしていない。ただ漫然と学校へいく生活、変化がない。このまま流されていくのかなあ。そんなのが自分の人生なのか。この先の道を作っていく時間はもう残り少ないことに今気がついた。苦難も何もない人生、失敗してでも自分の力を生かす人生。どちらを選ぶのが最良なのか、3年前の自分ならとっくに答えを出している時分なのに。