都より西を想う

京都に来てからホームシックというものにあまりかかってない、というかホームシックというのがどういう心理状態なのかわからないんですが、その点については親からも「もう、なんで全然連絡してこないのか!」と言われて以来放っておかれています。しかも連絡するのが財政援助を頼む時(教科書代とか定期代)とかが大半なので「こういうときばっかり!」と至極まっとうな批判を浴びます。

こちらに来てから自分ひとりで考える時間が増えたし、いろんな人と知り合ってであって、対外的なこともそうだけど自分自身のことについても考えるようになった。自分の性格は変な正義感を持っていて、偏屈、頑固という最悪な気質で、見事に父親の九州男児の血の悪いところを引き継いでしまったようだ。男は内面を語らないというが、僕の場合はtwitterにはfollowerの皆さんがもうええわ!と言わんばかりに愚痴などをこぼしている。愚痴をこぼしては自省したり、自分の考えの整理に使っている。文字化することで考えやすくなる。twitterは文字通り呟く場所なので心に浮かんだ心象を表現するまでの時間がブログより短く…、あ。これ昨日書きましたね。でも愚痴を吐露するのはあんまりよくないなぁ。というか、格好悪い。まぁそうは思っていますけど、たぶん治らないなこれ。

話がずれた…そうそう、自分の性格。よく考えたら絶対なりたくないと思っていた父親にそっくり。少々親よりは理屈っぽく考える傾向があるとよく言われるけれど、まぁそうなのかもしれない。性格の遺伝というのはちょっとおかしいけれど、生活環境で親の性格に近づく可能性はある。同一ではないけれど、似ている人はいる。というのを教習所にいってから感じる。先日書いた攻撃的、というのは正義感の裏返しらしい。

少し前にバーベキューに行った。そこで自分と同い年の子は一人だけで多くは年上の人ばっかりだった。ある人に、結婚願望とかあるの?とか聞かれたとき、あんまりよく考えずに、「んー、今は特にない」と答えた。それについて少し真面目に考えてみた。遠い話かもしれないけれど、自分が将来家庭をもつと考えたときも、奥さんにはあんまり頼りたくない。できればすべてを養ってやりたいと思ってる。経済的な面だけでなく、奥さんも、子供も、命に掛けて守ってやりたいと思う。その代わり、家事などはどうしようもないくらい何もできないので、支えてほしいところはある。家庭を持つっていうのはそういうことだし、そういう覚悟がない限り、軽々しく考えてはいけないと思っている。だから今すぐ結婚したいという願望はあんまりない。自分にそれだけの甲斐性がないからだ。なぜか、そういうところは九州男児なんだよなぁ。いかにも昭和って感じ。でもそういうこともすべて分かってくれる人と結婚したいなと思った。時代とは完全に逆を行ってるし、批判も浴びるかもしれないけど、それが自分の性格なのかな。あの頑固で偏屈な父親にちょっと近づいたような気がして、なんか悲しいような、嬉しいような、よくわからない心持ちだ。そういえば、自分には厳しくてすぐ怒る親父だったけれど、常に俺の味方だった気がする。